ALANKARの四国遍路旅 vol.1
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勝手なことを書いていますので、ご興味のない方はスルーしてくださいね〜( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )❤︎
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いよいよ、お遍路の旅をスタートすることにしました。
私の場合、一度に全てを巡礼する日程を確保できるわけではなく、できれば、1〜2年かけて少しずつ巡るいわゆる「区切り打ち」と呼ばれる方法を選びました。
最初の徳島県内前半分までは日帰りのバスツアーを予約しました。来週スタートです。
要領が分かれば、その後は自分でマイカー巡礼や、宿泊ツアーを模索するかもしれませんし、歩き遍路を一部組み入れるかもしれませんし、今のところは未定です。
ところで、四国八十八ヶ所巡礼のお遍路というのは、何が特別なのかご存知ですか?
例えば、近畿三十六不動尊、関東三十六不動尊、江戸三十三観音巡礼とか色々ありますが、明らかに目的が異なるんですね。
お遍路というものは「供養」。
それ以外は全て「祈願」巡礼なんですって。
しかも、四国という場所は特別です。
弘法大師が修行して悟りを開いた地とされており、75番札所は弘法大師の生誕地で佐伯家邸宅跡でもあります。
四国にはいわゆる日本という国土の重要な結界が張られた場所という見方もできるそうです。
地震にしても、諸外国にしても、太平洋側から見たら四国というのは矢面にある場所なんですよね。要で大事な場所なんですね。
そういう場所に多くのお寺を建立したということのようです。
都市伝説的なお話かもしれませんが、そういう見方もできるんですよ。
私は区切り打ちという、何回かに分けて巡礼する方法をとるのですが、1番〜88番まで順番に巡ることを順打ちといいます。
県ごとに巡ることを一国参りと言います。
順打ちの逆、88番〜1番に向けて反時計回りに巡ることを逆打ちというそうです。が、これ、絶対にやってはいけない巡り方だそうです(ガイドブックには、巡り方は自由ですと書いてありますが)。
ある芸能人の方が番組で逆打ちをしたそうですが、しばらくおかしなことになっていたそうですよ。
あ、あとね。以前にも書いたと思うのですが、こういった巡礼は1回では意味がないということ。
昔の人は歩き遍路が普通で、決死の覚悟をして出発したのです。巡礼の途中で行き倒れてしまったとしても、持ち物からいつどの札所に立ち寄ったか、そして納札をチェックすればどこの誰だか分かるようになっていたんですね。
白衣を着てお遍路に出発したのも、亡くなった時にそのまま白装束になるからなのです。
それだけ決死の覚悟で、叶えたい何かがあったのです。特に健康上のお願いだったようですね。それは各札所のご本尊に薬師如来さんが多いことからも推察できます。
昔の人と今の人では、1巡りの重みが違うのでしょうね。
お礼参りは必ずすべき。1巡りして達成したと思っていてはいけない。
終わりがない巡礼なんですって。
こんな話は、ガイドブックなどには載っていないし、誰も教えてくれないです。
じゃあ、私は何のためにお遍路に出発するかって?
それはですね、家族のためですよ。最終的には自分のためでもあります。
こういう情報をキャッチした人がやるものなのですね。ほとんどの人が知らないことだから、やらないほうがもったいない気持ちがします。
宗教上の考え方なので、全ての方にわかってもらおうとは思っていません。
仏教徒であれば、弔い方は似ていると思います。死後の世界の考え方もしかり。
上にあがる時、「おいずる」があるととてもいいのだそうです。49日を待たず、浮遊せず、スッと上がれるそうです。
おいずるがなかったとしても、お遍路の御朱印があれば、バラバラにして入れてあげるといいそうです。
そんなことを知っていたら、私はずっと前に全ての家族のために巡礼していたと思います。
仕方ないですよね、最近知ったのですから。
だから、動き回れる体力のあるうちに、できる限りのことをしておきたい。
5年後や10年後にできるだろうか?できるかもしれないけど、今ほどの体力はないだろうな〜と思うわけです。
さてさて、
巡礼することを決めると、いろいろと必要なものがあるそうで。
詳しい方からの話だと、特に白衣を着て回る必要性はないということだったので、必要最低限の以下のものを買い揃えました。
- 経本
- 納札と納札入れ
- 朱印帳と朱印用の白衣(おいずる)
- 御影保存帳
- 輪袈裟
不足していれば、現地の1番札所の近くで購入できるそうなのでとりあえずの準備で。
お遍路旅の前半は日帰りなので、まずは気持ちを楽にして参加してみたいと思います。
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