大事なことを思い出させてくれたある方のブログ
私ってば、なんで起業したんだっけ?
忙しすぎて置き去りにしかけていたことを、ある人のブログを読んで思い出しました。
もう、15年前のことです。
「あ、私の人生終わったな」と心底思ったことがありました。
30代後半。今思えば、すごく若い自分です。
病院の検査結果を聞いた直後に、目の前が真っ白になるというのはこういうことかと実感しました。
先のことはもう考えられないし、付き添ってくれた今は亡き母は隣で声をつまらせながら、主治医に質問してる。
「2週間後に手術です。3日後、入院。PET-CTの予約入れます。仕事の段取り、してきてください。」
自宅に帰って母が父に説明してくれているけど、父は無言で俯いている。
ませせてもらう仕事も多くなっていた時期だけに無茶苦茶忙しいのに、上司になんて説明すればいいのか。
私はもう何も考えられなくて、当時のカレに電話して「もう終わりや」って言うてるし。
元カレは医師だったから、私の投げやりな言葉を黙って聞いてくれているだけ。
状況が分かりすぎる分、言葉を失っていた模様。
当時のことを思い出すと、いまだに涙がこみ上げてくるし、若い頃の自分を可哀そうに思う。
PET検査の点滴で気分が悪くなり、そのまま失神(笑)車椅子で検査室に運ばれる。
先端医療センターの殺風景な検査室は怖かった。
検査結果が出て、主治医が夜中に病室に来る。
「オペは私が担当する。すべて任せて欲しい。絶対に成功させるから。」
後から調べたら、腫瘍外来の有名な先生だったらしい。
私は仕事柄、「絶対に」という言葉は絶対に使わなかった。医師がそんな言葉を使うなんてって内心思った。でも頼もしかった。
だから、すべてを委ねました。
結果として、私は生命力がとても強かったらしく、一時呼吸が停止したにもかかわらず生きている。
主治医は、「あなたみたいな人、初めてみましたよ」と言うし。
なんだかんだで、神様は私を生かしてくれました。
その時思ったのよね。
ここからの人生、何年あるかわからないけれど、「おまけ」と思って好きなことをやって生きようと。
そうせよと言われた気がしたし、起業を反対していた母でさえ「やりたいことがまだあるんやろ?やってみたら?」と。
家族全員の感情を揺さぶってしまった事件でした。
だから、人に仕える仕事は辞めました。人の仕事のために時間を割きたくなかった。
当時持っていたお金は、やってみたいことや好きなことに使うことに決めました。
ある時、偶然出会った大好きなマクラメが私の人生を支えてくれています。
もともと手先が器用だったことも手伝って、マクラメでご飯食べさせていただいています。
好きなことをやろう、しかもとことんね。
好きな人には好きと言おう。嫌いと言われても気にしない。
感謝を伝えよう。
好きなところに住もう。
行きたいところに行ってみよう。
やらずに後悔するなんてことはしないようにしよう。
ある一面だけを見ると、とってもわがままな生き方かもしれません。
人にどう思われようと、私らしく生きることは私にしかできません。
あと何年あるのかな?
先日の春分の日には、とりあえず5年後の目標のために、どのような1年にするかを決めました。
5年後なんて、本当にどうなっているのか全く見当がつかないけれど、こういうところに住みたいな、こんな生活をしたいなっていうざっくりした目標は浮かんでいます。
実は、思っているほど人生は長くないよね(^^)
だから、2022年は決断の年になるのかな。
うん。ガラリと変える必要がある気がする。
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