神仏ごとに精を出し始めた、最近のALANKAR
↑宮崎駿アニメに出てきそうな風景ですよね。神戸市内のお寺の境内です。
こちらへの投稿、久々となります。
このブログ(Webサイト)は、ALANKAR個人の活動や普段の思いなどを、自由に書いている忘備録としての活用もしています。
勝手なことを書いていますので、ご興味のない方はスルーしてくださいね〜( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )❤︎
2023年ももうすぐ半分過ぎようとしています。夏至を直前に、なんとなく焦ってしまいます。
今年は、気になっていたことや、やろうと思っていたこと、自分に足りないことの補充など、神戸に帰ってきてから思い当たることをこの数ヶ月の間にどんどんやっています。
ここでは書けないこともあるのですが、それはそれとして。
大きく動いたことは、数代前までのご先祖様の供養を思い切ってやったこと。
このご供養、やろうと決めた日は出張中で自宅にいなかったのですが、出張から帰宅した途端、家の中の空気が変わっていることに気づきました。やってね、ということだと受け止めまして、その翌日に執り行いました。
私はおそらく、一族の中で、こういうことをやるに相応しいのか、お役目なのか、そういう星の元に生まれ育ったのだということを最近になって強く実感するようになりました。
以前はお寺の行事とか、神さんのお世話とか、正直面倒だとさえ思っていました。だけど、やるべきことややる理由がわかり始めると、全く嫌ではなくなりました。
むしろ、「私がやりますわ」とさえ思い始めました。この1年くらいのことです。
月参りに来てくださるお寺の住職さんと話しをしていて、「あんたも大変かもしれんけど、大事な役目やからなぁ。そういうことなんやろなぁ。」と。
ぼんやりした話し方ではあるけれど、生まれた時から檀家の子として育ち、お稚児さんとして兄と一緒にお寺の行事に参加したり、父はかつて檀家総代で、父とご住職はお友達で、境内で遊んでいた私としては、ここのご住職の言葉は10まで聞かなくてもほぼ理解できますから、「あんたがやる役目なんやろ」という前述の意味合いに取りました。
何だかよく分からない話ですよね、軽く受け流してください( ˊ̱˂˃ˋ̱ ٥)
来月は母の13回忌にあたるということもあり、これまで忙しすぎることを言い訳にしてやらなかったことも含めて今月中に諸々整えようとスケジュール帳と睨めっこしながら動いています。
氏神様への正式参拝は、今日午前中に執り行ってきました。
私、やると決めたことはすぐやります。結構フットワーク軽いですʬʬʬ
お供えの一升瓶を小脇に抱え、ものすごく久しぶりの境内に向かいました。
実はここの氏神様には毎年、母と日付が変わるタイミングで初詣をしていた神社なのです。
母が亡くなってからは、思い出が多く悲しすぎて行くことができずにいました。
今年になって、やっと行くことができました(長すぎましたね)。
新緑の中、ご神殿に案内されて入り、宮司さんの祝詞を聞きながら頭を垂れ、鶯のさえずりが聞こえ、心地よい風が吹き・・・神がかっていました。
最後に頭上でお鈴の清めをいただきました。いや、これはすごい!鳥肌が立ちました˘-˘
神様、いらっしゃいましたね。今日参拝してよかったです。
このブログ、スピリチュアル化するかもしれません。そんな予感がします。
過去にもアガスティアのことを書いたりしていますので、もうすでにそういう内容なんですけど、最近は特に学びを始めましたので、今後はもっとそっち寄りになるかもです。
私は見える人ではありません。ですが、時々聞こえたり感じたりします。
聞こえたり感じたりした内容に従って動くこともあります。直感といえるかもしれません。
最近のことでいうと、引っ越しです。
昨年9月に神戸に引っ越した経緯はお話ししました。
もちろん、父の体調不良があり入院という流れになってしまったので、看病・介護を覚悟で実家に戻りました。
ただそれだけではないような気がして仕方がありません。呼び戻された感が否めません。
その理由はいますぐ分からないことなのかもしれませんが、いずれ「そういうことだったのね」と分かる日が来るかもしれません。
・・・一つの理由は理解しているのですが、それだけではないはずです。
ちょっと話がそれましたが、
あと、私の主観もありますが、正式な方法(参拝方法も含め)ということを言っておきたいな。
というのも、世間のスピリチュアル界隈(スベリチュアルと呼ぶ人もいますよ)は、間違いだらけだったりします。
例を挙げるなら、パワースポット巡りや御朱印集めは、実は危ないということ。
全国いろんなパワースポットを巡って、いろんな願い事をして、、いや、願い事をするのはいいのです。
ですが、その願い事が叶ってもお礼参りしていないとか、それどころか、どこで何をお願いしたのか忘れてしまったというのは最悪です。
動物神を祀っているところを蔑ろにすると、バチ当てはる。・・・本当らしいですよ。
私は、いろんなところに行くのをやめました。そもそも、この数年、神社仏閣にはほとんど行ってませんでした。
氏神様や崇敬する寺社では、きちんと御祈祷をしてもらいお札をいただくようにし、神社のお札は神棚に、お寺のお札は仏壇横の床の間の一段高いところに置かせてもらってます。
そして、お供物を差し上げて、毎日お世話させていただいています。
これは、神戸に帰ってからできるようになったことです。出張の多かった過去数年間は全くできませんでした。
あ、そうそう。神社とお寺の役割の違いをご存知ですか?
私、学び始めてやっと分かりました。
神社は土地をみてくださいます。お寺は人の道を作ってくださいます。
先祖供養は大事です。大事だということも学んでやっと分かり始めました。
そして、きちんとその土地でお仕事をしようとするなら、自分の家の周辺のお詣りは大事だそうです。
東西南北と鬼門裏鬼門の6方向にお詣りをして、土地を守ってもらうということが重要なようです。
家の周囲の土地を踏み固めるというのは、お商売の発展にも繋がるそうです。何代にもわたってその土地に住んでいるなら、その土地の神様は「誰それの家の子」という認識をして見守ってくださるようです。
私の場合、これ、いいのかどうかよく分かりませんが、鬼門裏鬼門を長い線で結ぶと、氏神様(産土神も同じ)の神社と伊弉諾神宮(淡路・一の宮)の間の線上にウチの実家があります。
さらなる偶然で、私の祖父母の出身が一宮町(現在は淡路市に表示が変わっていますが)で、伊弉諾神宮のすぐそばでしたΣ( °o°)
この事実を知った時も、ざわざわざわ〜っと鳥肌が立ちました。
そんないくつもの偶然(偶然なのか?)を発見するのにも、意味があるのかなぁと思いつつ、今月中に伊弉諾神宮の御神楽参拝をしてこようと計画しています。
そこまでやって、やっと家の周囲を守れる気がします。
本当はお正月にやるべきことのようですが、遅ればせながら何とか実践しています。
もう一つ。
数年来、スタートしようと思いながら覚悟ができずにいた、四国八十八ヶ所霊場巡り。いわゆるお遍路です。
冒頭に書いた通り、やろうと思っていたことの一つです。
情報を集めたり、タイミングを図ったりしていたのですが、そんなことをしていたらいつスタートできるか分からなくなってきたので、まずは初めてのお遍路ですから、気軽に参加できる大手バスツアーの日帰りプランではじめてみます。
お遍路もそうですが、巡礼というものは1回限りではダメなんです。
お礼参りが必要。2周して当たり前。3周目からが本当の巡礼になるそうです。
だから、覚悟がなければやらないほうがいいよと、先達の方からお言葉をいただいていたので、「何のためにやるのか?」という部分を重々考えて、「やります、スタートします」という結論に達しました。
このお遍路についても、やってみたいけど、よくわからないという方もいらっしゃるでしょうから、私も学びながら発信できたらいいなぁと考えたりしています。
近いうちに、インドにも行きたいんですけどね。途中になっている救済策もコンプリートしたい。
私の救済策の内容は、お寺でのHOMA(サンスクリッド語-護摩の語源)です。
最終的に私が扱いたい商品も見えてきました。
すでに扱ってきたものではあるのですが、姿を変えて洗練した形で手に入れたいのですが、それがなかなか難しい段階で交渉中。
いずれ相応しいときに叶うものと思います。
心の拠り所や、自分のお役目がはっきりしてくると、生活に迷いがなくなってきますね。
取り扱いたい対象の商品も決まったならば、そちらに集中できます。
私は声を大にして言いたいことがあります。
海外や遠いところに救いを求める前に、自分のご先祖さまをないがしろにしていないか確認してみてほしい、ということ。
もしかしたら、浮かばれない霊がいらっしゃるかもしれないですよ。
自分の身内のことなのに、それを無視して、遠いところの神様にすがるのって変な話ですよ。
そういう方々、実はとても多いです。
もう少しご自身の周囲を見てほしいな˘-˘
巡礼の様子や、私の学びについても、追々発信してみますね。
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